当会の由来

武産合氣會の由来


正式名は【五常會 惟神之道 武産合氣道】と謂います。
通称としては 武産合氣會 惟神合氣道、武産合氣會五常會、或いは各支部において~武産合氣會、及び武産合氣會~とも標記します。
大阪、岡山、香川、広島、福岡県等に関連道場があります。
武産合氣 誠道塾塾長の丸林正宏師範が昭和50年に創設しました。

<丸林師範と武産合氣會の歩み>
幼少より、柔剣道・空手・居合等武道各種に通じられ、
二十代の頃から開祖植芝盛平翁(当時七十代前)に直接師事されました。
当時師範は糸東流空手の猛者でしたが、ついに希求する道に出会ったとの思いから、開祖に託された武産合氣を忠実に実践錬磨し、常に日之本の武道を通じて日之本を支える人材育成、及び日之本の発展興勢を主眼としてきました。
五十代前半までは外洋航路貿易船の高級士官としての仕事の傍ら、各国で合氣道を紹介すると共に指導し、帰国中には首都圏の各道場、愛知及び大阪神戸の道場指導、その後郷里広島にて合気会広島県支部を設立する等 草創期の芸備地域一円の合氣道振興に尽力し、仕事柄、国内外世界各地での武勇談には枚挙に暇がありません。
正に実戦で磨かれた胆力と武士道精神を基にし、我々に下される御話並びに指導内容には凄味が溢れています。正に日本武道の誇りを口先だけではなく自ら身を以て支えてこられたと承っています。
(財)合気会広島県支部設立、支部長就任の後、五常会を設立し、さらに武産合氣會 会長並びに誠道塾及び神明館道場長に就任した丸林師範が本会を設立しました。

武産合氣會会主 丸林師範
武産合氣會会主の講話中の様子

当会の特徴は、空手や古流武術を修めていた丸林師範が晩年の合気道開祖植芝盛平翁に師事したことで刺激を受けその思いを吸収し集大成した膨大な量の武器体系と多様な体術にあります。合気道道場なのに剣術道場や杖道あるいは空手道場のような様相を呈していた武産合氣 誠道塾にその原点があります。当会では合気の体術、武器、呼吸法が等しく問われ、段位を取得する道程が長く険しくもあるのですが、その分段位の証となる実力を有した合気道家となることを約束します。健康体操に終わることなく、実力をもって多様な技術を駆使できるようになると合気道の稽古が楽しくなります。自分から争いを求めるのは愚ですが、力の強い相手を避ける必要もなくなります。

合氣道の結晶、エッセンスといえる武産合氣は原始神道を源に古事記を標にし、人の道を説きます。「武産」は単なる武を産むの意ではありません。
嘗て我等の祖先はこの災いも多いが、稔りも多い、美しい水の國と、時には戦い、宥め、慈しんで来ました。今を生きる我々の道も祖先によって刻まれた道です。決して武術、格闘技ではありません。太古より日之本に生きる人々の往く道を示すのが武産合氣に他なりません。

武術はともすれば競技や型に目を奪われ易いものですが、それらと実践は全く異なります。
武産合氣の美しくも強い姿は修行と実践によって育まれたものです。


我々の真はまず、各道場を訪問されて体験下さい。

 

― 惟神合氣道 武産合氣會 ―


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