指導統括


指導統括 崎川師範 

担当:武産合氣會運営責任者

全般指導

人となり:指導員のなかでは一番厳しい。日本、日本とうるさいけど、外国人が嫌いなわけではなさそうです。

平成16年 高松武産合氣會設立


■武産合氣會所属
■高松市出身

[崎川指導の言葉] ➡動画挨拶
子供の頃は剣道の道場に通っていました。
合気道に出会ったのは昭和63年~平成元年の辺りで、その後ある偶然から、武産合氣 誠道塾に通うようになり丸林師範の下で本格的に合気道にのめりこむようになりました。怖い師匠で何度も挫折しそうになりましたが、技を覚えるのが楽しく、また合気道を通じて色々な人に出会えることで何とか続けてこれました。要所々で助け導いて下さった方々との出会いが想い出と共に私の大切な資産です。

◇道場では整体と自彊術を伴う準備運動、基本動作以外の体術をなかなかやらせてもらえず、ひたすら武器技を次々と叩き込まれました。武器技が面白くもあったのですが、まず二刀、それから剣、杖と稽古が進みます。単純に型を素振りで覚えるというものではなく、様々な技を繰り出しつつ真剣に激しく打ち合う稽古で、動けなければ危ういことになり、自ずと必死になります。握力が無くなり腕も普通に上がらなくなったところで、ようやく体術をやらせてもらえる。それも座り技だけ。座り技は、いわゆる半身半立及び座り呼吸です。これもik会系で一般的なユル持ち自分受身ではなく、取り手はしっかり対しないと押さえ込まれそのうえ「出直してこい!」と罵倒されます。加えて氣吹の法等の呼吸法は早朝稽古で習いました。
 稽古の後は女将さん(丸林師範の奥様)の作ってくださる玄米ご飯を中心とした朝食や午後稽古後の夕食(時々)を談笑しながら戴いたのを懐かしく思い出します。
 朝と夜の道場では、さらに雑談混じりの長い座学と道場外に設置した腕木付きの太い木杭への素手打ち込み鍛錬という日々でしたが、振り返るとそのおかげで嫌でも身体の中心(所謂体幹)を意識し、重心固定が普通になり、打撃にもある程度強くなりました(最近は打撃鍛錬を怠けぎみですが)。師範が元々空手の猛者で合気道開祖植芝盛平翁との出会いから開眼した人だったので、私の好悪に関係なく常に空手が身近にあり、空手型(古典系)、突き蹴り打撃に嫌でも接するしかありませんでした。今から思えばこれも大切な経緯となったわけです。結局、目先の技の早さや善し悪しよりも身体をどう保つか、氣産毘と息をどうするかが大切というに至りました。万能ではありませんが、呼吸を意識すると丹田が鍛えられ疲れにくくなります。武器を使えるから体術も無駄な力を使わずにすむようになることに随分後になって気付いたものです。そして座学を通じて少しは霊学を知るようになり古事記を読み返して祖国に誇りを抱く端初にもなりました。私も今だ修行中の身ながら、ついつい安逸を貪りたくなる己れを叱咤し、来てくれた皆さんと共に錬磨できることが楽しみです。

崎川
武産合氣會 崎川

◇高松や丸亀道場では武器技がやたらと多いという当会の特徴は踏まえつつ、誰でも始めやすい指導則とし、武器技と体術を中心に覚えて試すのが楽しいと感じれるように努めています。フワッと持つだけで受身をとってくれる相手を、投げたつもりになるのではなく、強く掴んでくる・圧してくる相手に技をかけることが楽しくなるように指導しています。

◇子供への指導では、まずはその子が面白いと思って自主的に稽古に来ることが第一です。基本動作と体術だけではなく武器技も次々に教えて、これは覚えるのが楽しいとなるとその子は伸びます。多少の苦行など、簡単に乗り越えることができます。剣、杖、二刀そして体術を身体操作に留意して指導することで、4~5年でちびっこ合気道家になります。身体を動かすことが合気道ではありません。体術だけでも身体が覚えるには考える習慣が必要ですが、当会では多様な武器技も共に履修するため、頭の体操となる多くの試練が子供達にも課せられ、乗り越えて武器も体術も自然に使えるようになります。当会の子供達は学業も疎かにはしません。学校の成績も良いのが常です。

◇常に新たな気持ちで、私達の稽古に付き合い、合気道を楽しめる仲間が来てくれることを楽しみにしています。

(編者:いつも、きれいごとを言って、夢をみているよう。)

 

師範挨拶 まず初めに

合氣道への思い

―武産合氣會-

武産合氣會の由来


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