当会 合気武道の特徴

惟神之道 武産合氣會
惟神合氣道の特徴と心掛け

1)はじめに

2)武器は他でみない

3)合気道に受継がれた武器技

4)異なる武術

5)当会の合氣武器

6)当会の合氣道を学ぶには

7)子供の武産合氣

8)我が国と合氣の道

9)真(誠)に触れる

※合氣修行の心掛け

 



<1.はじめに>
 当会の特徴は何と言っても武器技の多さ、多彩さにあります。武器が多いということは合気道の場合、体術の種類、技の幅も拡く深いということを意味しています。合氣剣技が体技、合氣杖が体感となり、体術の感覚は剣技と杖で磨かれていきます。そう、嘗ては合気道も剣を使い、杖を駆使したのです。それも合気道独特の技として。ところが今や体術しかないように思われています。哀しいかな「柔道とどう違うのか?」と聞かれる始末です。


<2.武器は他でみない>
 我合気道の開祖盛平翁が剣や杖を多用されたにも関わらず、開祖の武器技をそのまま伝える道場は存在しません。開祖が武器に関しては積極的に伝授しなかったことや、高弟等も恐懼するばかりで学べず、表面上真似しやすい体術の楽な部分が好んで伝えられた面があります。その上、二代目が武器を好まず、教程も難しくなるため、今や外国人を含む不特定多数を求める会派では面倒な武器は全くと言っていいほど使えません。あるとしても僅かです。大抵は素振りか申し訳程度に単調な型があるかもしれません。従って剣も杖も知らないも同然で、そこでやられる太刀取り・杖取りも真がなく単調な型のみの退屈極まりないものになり果てています。多くの場合はその僅かな剣と杖を後生大事にして少しやったりしますが、あまりに単調なので直ぐに飽きてしまい、必然的に体術も単調・単純にならざるを得ません。


<3.合気道に受継がれた武器技>
 しかしながら、開祖の披露された武器技を特に好み、開祖が神去られた後も自らのものとして考究しつつ練り上げた師範も僅かに存在します。当会会主を除けば、武器技の数は他会派に比べれば多めと云える岩間流の故斎藤師範、及び武産を冠する道場、例えば天之武産等でも多少なりとも剣や杖を比較的積極的に稽古に取りいれていると云えます。
 一方、武産と名乗りながら武器技が殆どなく受身主導(崩しがなく自己受身)の会派がありますが、これらは論外で最近詐称が増えていることに憂慮しています。ただ、その会派の教程に剣や杖が少なからずあるか否か、また手の取り方などで素人でも判断可能です。


<4.異なる武術>
 中には合気道とは異なる古流武術の剣術や杖術を別に習って取り入れる道場も出てきていますが、それは合気とは異なる流儀であり、木に竹を接ぐかのように関連の薄いものを無理に繋いで見せていることになります。日本には古来多くの古流武術が存在し、特に江戸幕府が武術を好んだことから江戸時代に多くの武術流派が生まれたことで今に伝わる武術が多数存在することは我々日本人の誇りでもありますが、哀しいかなそのどれとも合氣の剣、杖は違うと謂えます。勿論似た部分もあるのですが、合氣の体技につながるという面で大きな違いがあるのです。


<5.当会の合氣武器>
 当会 武産合氣會は晩年の開祖に弟子入りした会主が開祖の武器技に直接触れることで刺激を受け、吸収し完成させた独特の武器体系を有しています。武産合氣會道場の稽古は礼と基本動作の後、多くの場合武器技の修練になります。時間にして全体の半分程度は武器技の稽古です。剣の時もあれば杖の時もあり、二刀術で基礎力をつける鍛錬稽古もあります。剣も杖も盛んに実使用するので数年でボロボロになってしまう場合もあります。当会の武器技はそれのみでも剣術道場、杖術道場といえる内容故、合氣之剣も杖も深く知ることから太刀取り、杖取りの事始めと云えます。


<6.当会の合氣道を学ぶには>
 前述したように当会では武器技が非常に多いだけではなく、取り手、連続受身、各種剛持ち鍛錬稽古、呼吸法等修める課程が圧倒的に多く、深くなっています。従って段位取得に時間がかかり形而下的な位を求める人には不向きであり、他の会派の級段位もあまり意味を持ちません。上級位になるほど実力の差が広がるのは世の常です。しかし、曇りのない心で接すれば、初心者は当会の惟神合氣道に自然に馴染み何方でも習得していけます。他会派の経験者が入会する場合は、級段位はそのまま受け入れますが(帯の色は元のままで可)、重要な課目の審査を後日自分のペースで良いので受けてもらうことになります。級段位次第ですが、体術であれば、腰投げ(当会は腰投げを多用します)、蹴り、双手多敵、呼吸法各種、武器はほぼ全てが課題になります。


<7.子供の武産合氣(日本人と合氣道)>
 合気道は日本を代表する武道です。古くは縄文より伝わるその精神性と原始神道を現代まで守り伝え、聖徳太子の十七条憲法や鎌倉時代の御成敗式目、明治憲法教育勅語などにもその一端が現れているように、「和は尊し、諍いの元は誤解が多く相手の立場や背景を知り、無駄な争いを慎め」「武のない平和はあり得ない、皆等しく身を守るすべを持つべき」人として当たり前に生きていくために磨かれた日本民族の叡智であり思いを体現する姿が真の合気道家です。時間がかかる上に山あり谷あり、進むときも停滞するときもありますが、子供たちにも当然使える合氣を教え、体技習得と共にその成り立ち、白人至上主義の理不尽な人種差別に抗し戦った誇り高い祖先をもつ日本人としてどこに出ても恥じない人格形成を手助けします。日本人の多くは小さいときから嘘や人を騙すことは人倫に悖(モト)る卑しい行いだと云われて育ち、清らかなことこそ最も尊いことであるとされています。このような国はほとんどありません。我が国は欧米由来とされる自由と民主主義が日本古来の人と自然を大切にする精神と結びつき、極論すれば人間界で最も未来に向けて光輝く宝石の如き国なのです。神話の時代、天照大御神そして神武から令和まで続く世界で最も古い国でもあるこの国を護り発展を続けるために日本人としてしっかりした国家観並びに日本人として正しい歴史観を持つ力強く、尚且つ弱者に優しい人に育てます。民度は極めて高いが、日本人一般に多い弱点の克服もその教程課目としています。


<8.我が国と合氣の道>
 初心に還れば、多くの課題も難なくこなせるものであり、嘗て合気体術を学んだ経験があったとしてもそれが武器技につながることを知ることで、過去の甘い体術が武器技習得の役に立つ場合もあります。そして技術だけではなく日本の力を意識するのです。日本人であれば、古くは白村江の戦いから元寇、そして明治維新、日清日露戦争、大東亜戦争など国難に立ち向かった先人の行跡を自らよく調べ(教科書では学べない)、同時に古事記や日本書紀を座右に置き、万葉集にも馴染めば、その背景とともに心に染み入り、祖先を誇らしく思うようになります。その基盤の上に立ち体術の背景となる武器技や呼吸全てを含む真の合氣道に接すれば、日本の魂の発動でもある合氣はすっと胸に身体にそして心に染み入ってくるはずです。一方、背景も知らずに上澄みの体術のみ、それも合氣とは起源の異なる柔術と大差ないものとして学んだだけでは甚だ不完全で頼りないままで終わるのです。


<9.真(誠)に触れる>
 技術的には、嘗て剣も知らないのに太刀取りをやってみたり、組手も知らずに突きをやっていた人も当会の武器や体技の修練を経て真を知ることができます。鍛錬稽古の経験もない場合が多いので、辛くはありますが当会の鍛錬稽古にも慣れて逆に合氣道に本当の自信をもって貰います。さらに巷に溢れる馬鹿げた動画を見過ぎたり、崩し投げる前に受身をとるような稽古に馴染んでしまっていても実践体術に進化させることが可能です。
 全ては心掛け次第ということです。
なおここで、日本人が正しく合氣道を身に付けるために我々が推奨する書物として、以下を挙げておきます。稽古にこの書とともに臨めば真の合氣に繋がる助けとなります。

古事記 (まずは読みやすい版で可)
日本書紀 (〃)
万葉集 (〃)
日本国紀 (百田尚樹著: バランスに優れた日本通史)
武産合氣 (開祖の口述筆記、但し技についての記述は少い)
・技に関して良書は見当たらず道場にて学ぶほかない。

 


<心がけ>
合気道は王者の武道です。その稽古は各人各様であり、皆が集まって整列し一斉に同じ動作を1、2、3・・とみっともなく拍子をつけてやるものではありません。受身は大切ですが、崩しもないのに始めから受身を取る気でやるものでもありません。ふわっと持たれるだけに慣れて、いつも投げたつもりになっていては武道の名が泣きます。大勢でも少数でも同じですが、合氣はその人の息(呼吸)に合わせて気合いと共に氣の流れを大切にするのです。究極の個人技とも云うべきものであり、知らずにみるとバラバラに好きなことをやっているように見えるかもしれません。合気道修行者は皆が同じ動作をやるなど無駄で滑稽であり、武術として最も忌むべき事だと自覚せねばなりません。

合気武道は人生劇場とは云えますが、躍りや演劇ではなく軍隊でもありません。あくまで武道・武術なのですから。人は誰一人として同じ者ではなく、個にして全なるものの体現が真の合気道の稽古風景と云えます。


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